トントンコラム「学校の意義から考える/学校に行かないという選択肢」
学校は行って当たり前という時代から、多様性が認められる現代では、学校という場所に拘る必要はないという風潮が強くなってきています。確かに、学校という社会システムに意義があるのだとすれば、結局学校というのは一形式にすぎません。今回はそんな「学校の存在意義」から不登校を紐解いてみましょう。
将来の役に立つの?
「学校の授業を受けても将来の役に立たない」
ある子どもは私たちにこのように主張をしてきました。簡単な四則演算はともかく、理科の実験などが将来どう役に立つのか、イメージが全く沸かないということでした。このようにお子さんから、同じような主張をぶつけられた経験はないでしょうか。
大人からすれば、その一つ一つに意味があるということは、なんとなく理解ができるものです。ですが子どもというのは、このなんとなくを嫌がる傾向にあります。不登校のお子さんとなればその傾向はなおさらです。なので、もう少し具体的に掘り下げて考えてみましょう。
授業の内容よりも環境に着目
教科科目によって、社会で生き抜く上での必要度というのは確かに差があります。ですから、重要なのは科目ごとの意義ではなく、学校という場所であり環境なのだと思いませんか?
現実問題、社会というのは一個人だけでは成り立ちません。生活必需品の調達はもちろん、どんな仕事であっても、人との関わりをゼロにしては成り立たないはずです。
そうです。学校というのは社会に向けた予行練習の場なのです。人が持つ個性に揉まれながら、集団で同じ課題に取り組む場所。そう思えば、協力して行う理科の実験にも、科目として以外の意義が見出せます。
代わりになるもの?
さて、ここまで学校という存在の意義を考えてきましたが、ここからはそれに代わるものが何かを考えてみましょう。
人とのつながり、集団行動という視点からみると、例えばICT学習でそれを補うことは難しそうです。あるいはルーティンが確立できていても、家庭内だけでは補完に限界があります。
ではフリースクールはどうでしょうか。それぞれの団体さんが多種多様な活動をされていますから、一概に判断することはできません。しかし、学校教育の補完というフィルターでみると、その基準を満たしているスクールさんは限られているように見えます。もちろん、これはフリースクール批判ではありません。
何が言いたいかというと、学校という存在はそれだけ高度であり充実したもので、簡単に替えが効くわけではないということです。
結局学校に行くことが一番シンプル
ここまでを踏まえると、やはり不登校の子どもたちには、できる限る学校復帰を促してあげる必要性が見えてきます。もちろん、そのスピード感や押し引きというのは個人の状況に由来します。大切なのは、社会自立まで見据えての対応をすることです。
親御様には、このゴールだけは見失わないで頂きたい。そして、ゴールとなる社会自立に向けて一番シンプルな道は、学校への登校だということを、ぜひ覚えておいて頂きたいのです。
分かっていても難しい
もちろん、親御様の心情というのは手に取るように理解できます。「そうは言っても」という状況ですよね。親として不登校と向き合うには心痛が付いて回りますから、それに追い打ちをかけようだなんて全く思いません。
まず親御様で出来ること。例えば、お子さんの社会自立が想像できない状況であれば、その手前にある学校復帰の手がかりを模索することです。逆に学校復帰の手がかりを見失っている状況であれば、社会自立というゴールまでの道のりを、専門家に相談されることをおススメします。大丈夫、この令和という現代、不登校を見捨てる世の中ではありません。手を取り合ってこの困難を切り抜けましょう。

学校には行かなくても良いの?
学校には行くべきです。これは、学校に行かないことで、その子の将来に不利益が生じる可能性があるためです。ですが、心身の健康状態が最優先となるため、やむを得ない場合はあるでしょう。
学校に行ってなんの意味があるの?
学校は基礎的な教科学習を学ぶためだけの場ではありません。社会自立に向けて集団のなかで社会性を身に着ける場です。この素養は将来必ず求められるものです。また学校以外でこれを養える環境は限られています。
学校の代わりになれるフリースクールって例えばどこ?
社会性の獲得に重きを置くのであれば、やはり集団でのプログラムを実践しているフリースクールが好ましいでしょう。集団生活のなかで学校復帰の目標へ向かう【リスタスクール】をご提案します。
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